
代表者プロフィール

向井 良太郎
生年月日:1980年10月5日
企業名:株式会社トヨタカローラ香川 代表取締役
株式会社レモリフ 代表取締役社長
CNSホールディングス株式会社 代表取締役社長
ネッツトヨタ高松株式会社 取締役
東かがわ自動車販売合同会社 社長
2003年に新卒でトヨタ自動車株式会社に入社後、生産管理や国内販売部を経験。2010年にトヨタファイナンス株式会社に転職し、経理や審査部門を担当。故郷である香川に戻り、2012年に父の経営するトヨタカローラ香川株式会社に入社。2022年に、祖父、父と続いてきたトヨタカローラ香川を承継し、3代目の社長に就任。
地域活性化や地方の移動に関する課題を解決するため、株式会社レモリフの社長としても、日々地域課題と向き合っている。
企業名:株式会社トヨタカローラ香川 代表取締役
株式会社レモリフ 代表取締役社長
CNSホールディングス株式会社 代表取締役社長
ネッツトヨタ高松株式会社 取締役
東かがわ自動車販売合同会社 社長
2003年に新卒でトヨタ自動車株式会社に入社後、生産管理や国内販売部を経験。2010年にトヨタファイナンス株式会社に転職し、経理や審査部門を担当。故郷である香川に戻り、2012年に父の経営するトヨタカローラ香川株式会社に入社。2022年に、祖父、父と続いてきたトヨタカローラ香川を承継し、3代目の社長に就任。
地域活性化や地方の移動に関する課題を解決するため、株式会社レモリフの社長としても、日々地域課題と向き合っている。
代表者インタビュー
これまでのディーラーを脱却。”地域に根付くプラットフォーマー”へ ~3代目社長が描く、香川発の挑戦~
■■失敗を原動力に”苦労を苦労と思わない”3代目社長■■
■トヨタとの出会い
1966年、祖父が創業したトヨタカローラ香川。若くして祖父を亡くし、その後を継いだ父は、常に多忙で家にほとんどいなかった。バブル崩壊や金融危機など、激動の時代だったが、父は家では一切仕事の話をしなかった。幼少期の向井自身も父の仕事に特に興味はなかったが、“跡取り”という周囲の期待をなんとなく感じ、いつしか使命感のようなものを抱くようになっていた。
大学卒業後は広告代理店への就職を希望していたが、トヨタ自動車でのインターンシップが向井の視野を大きく広げた。オークション会場や企画会議で体感した圧倒的なスケール、日本を代表するトップメーカーの裏側に触れたワクワク感。そして優秀な社員たちが学生を一人の社会人として扱う姿勢。その瞬間、向井は「トヨタの奥行きと可能性」を直感的に感じ取った。
■苦労を糧に、失敗を推進力に変える負けず嫌い
社会人となった向井は、いわゆる“御曹司扱い”を嫌い、あえてディーラーとは無縁の生産管理部を志願した。生産管理部は、世界中の生産台数を決定する責任重大な部署。2年目のある日、その計算業務で行き詰まり、計画全体を遅らせてしまう大失敗を経験する。最終的には同僚に助けられたが、多くの社員を夜遅くまで巻き込んでしまった。
しかし、この挫折をバネに翌年は見事に挽回。「意思は強くないが負けず嫌い」という自己分析の通り、悔しさを推進力に変えてきた。
「苦労を苦労と思ったことはない」と語る向井にとって、試練はむしろ楽しさの延長線上にある。大学時代には新しいサークルを立ち上げ、組織づくりに挑戦した経験もある。その時に得た「組織は3人の幹部が一枚岩になれば回る」という信念は、今も経営の現場に息づいている。
■■車を売る会社から、“人で選ばれる”会社へ■■
■脱・ディーラー化が未来のステージ
2012年、香川に戻りトヨタカローラ香川に入社。営業本部長を得て、専務となった向井は経営全般を任されるようになる。
以前より向井は、全社併売化により、従来型の「販売競争」だけでは先細りが避けられない、差別化の難しいトヨタディーラーという業態を“脱・ディーラー化”させなければならないと考えていた。そこで向井が打ち出したのが「人材育成による組織の差別化」と「地域密着の新規事業」だった。
2020年に「東かがわ自動者販売合同会社」を設立し、近隣のトヨペットやネッツなど4つのトヨタディーラーを1か所に集約させることで、利用者のニーズや地域経済の活性化を推し進めることに成功。さらに、地域貢献や他事業展開を行うため、株式会社ジェームス香川を社名変更並びにHD参加から上位に位置づけを変更した「株式会社レモリフ」の代表取締役に就任。
これらの成功を経て、2022年、父からバトンを受け取り、「トヨタカローラ香川」の3代目社長に就任した。
■地方ディーラーから全国モデルへの進化
2020年にMVS(ミッション・バリュー・スタイル)を策定し、中長期計画を構築。スタッフ教育には通常の10倍もの労力を注ぎ、サービス品質を高めた。同時に、車中泊による観光活性化、電動バイクシェアリング、AIベンチャーとの協業など、移動を軸にした新規事業を展開。結果として売上はコロナ禍を経ても右肩上がりを維持し、2024年度には経常利益5億8千万円と過去最高を記録した。
■“推し企業”を目指すディーラー経営
「楽しいから続けている」と向井は笑う。その裏には、単なる地方ディーラーに留まらず、“地域活性化”や“モビリティプラットフォーマー”として新しいビジネスモデルを描くビジョンがある。
免許返納後も移動の自由を保障し、香川から地方の未来を照らす存在になること。移動の選択肢を広げ、地方の生活の質を向上させること。そのためには、購入体験の満足やアフターサービスの安心感、利便性を支える仕組み、そして「人と組織での差別化」を追求し続ける必要がある。
「他ブランドと競うのではなく、業界のリーダーたちと共に自動車業界を盛り上げていきたい」と向井は語る。
■トヨタとの出会い
1966年、祖父が創業したトヨタカローラ香川。若くして祖父を亡くし、その後を継いだ父は、常に多忙で家にほとんどいなかった。バブル崩壊や金融危機など、激動の時代だったが、父は家では一切仕事の話をしなかった。幼少期の向井自身も父の仕事に特に興味はなかったが、“跡取り”という周囲の期待をなんとなく感じ、いつしか使命感のようなものを抱くようになっていた。
大学卒業後は広告代理店への就職を希望していたが、トヨタ自動車でのインターンシップが向井の視野を大きく広げた。オークション会場や企画会議で体感した圧倒的なスケール、日本を代表するトップメーカーの裏側に触れたワクワク感。そして優秀な社員たちが学生を一人の社会人として扱う姿勢。その瞬間、向井は「トヨタの奥行きと可能性」を直感的に感じ取った。
■苦労を糧に、失敗を推進力に変える負けず嫌い
社会人となった向井は、いわゆる“御曹司扱い”を嫌い、あえてディーラーとは無縁の生産管理部を志願した。生産管理部は、世界中の生産台数を決定する責任重大な部署。2年目のある日、その計算業務で行き詰まり、計画全体を遅らせてしまう大失敗を経験する。最終的には同僚に助けられたが、多くの社員を夜遅くまで巻き込んでしまった。
しかし、この挫折をバネに翌年は見事に挽回。「意思は強くないが負けず嫌い」という自己分析の通り、悔しさを推進力に変えてきた。
「苦労を苦労と思ったことはない」と語る向井にとって、試練はむしろ楽しさの延長線上にある。大学時代には新しいサークルを立ち上げ、組織づくりに挑戦した経験もある。その時に得た「組織は3人の幹部が一枚岩になれば回る」という信念は、今も経営の現場に息づいている。
■■車を売る会社から、“人で選ばれる”会社へ■■
■脱・ディーラー化が未来のステージ
2012年、香川に戻りトヨタカローラ香川に入社。営業本部長を得て、専務となった向井は経営全般を任されるようになる。
以前より向井は、全社併売化により、従来型の「販売競争」だけでは先細りが避けられない、差別化の難しいトヨタディーラーという業態を“脱・ディーラー化”させなければならないと考えていた。そこで向井が打ち出したのが「人材育成による組織の差別化」と「地域密着の新規事業」だった。
2020年に「東かがわ自動者販売合同会社」を設立し、近隣のトヨペットやネッツなど4つのトヨタディーラーを1か所に集約させることで、利用者のニーズや地域経済の活性化を推し進めることに成功。さらに、地域貢献や他事業展開を行うため、株式会社ジェームス香川を社名変更並びにHD参加から上位に位置づけを変更した「株式会社レモリフ」の代表取締役に就任。
これらの成功を経て、2022年、父からバトンを受け取り、「トヨタカローラ香川」の3代目社長に就任した。
■地方ディーラーから全国モデルへの進化
2020年にMVS(ミッション・バリュー・スタイル)を策定し、中長期計画を構築。スタッフ教育には通常の10倍もの労力を注ぎ、サービス品質を高めた。同時に、車中泊による観光活性化、電動バイクシェアリング、AIベンチャーとの協業など、移動を軸にした新規事業を展開。結果として売上はコロナ禍を経ても右肩上がりを維持し、2024年度には経常利益5億8千万円と過去最高を記録した。
■“推し企業”を目指すディーラー経営
「楽しいから続けている」と向井は笑う。その裏には、単なる地方ディーラーに留まらず、“地域活性化”や“モビリティプラットフォーマー”として新しいビジネスモデルを描くビジョンがある。
免許返納後も移動の自由を保障し、香川から地方の未来を照らす存在になること。移動の選択肢を広げ、地方の生活の質を向上させること。そのためには、購入体験の満足やアフターサービスの安心感、利便性を支える仕組み、そして「人と組織での差別化」を追求し続ける必要がある。
「他ブランドと競うのではなく、業界のリーダーたちと共に自動車業界を盛り上げていきたい」と向井は語る。